京都 雪舟寺 芬陀院(ふんだいん) [雑記]
霊雲院を出て他の庭に向かっている途中で雪舟寺を見つけました。雪舟庭園とあります。
雪舟が作庭したそうなので入って見ました。
鶴亀の庭 白州と小石の真っ直ぐなラインが綺麗な庭です。
丸く石でこんもりとした小山を囲んでいるのが亀島と言うそうで
雪舟が亀を摸して作った所夜中に動いたという逸話が残っています。
茶室の丸窓から庭を見ると絵になるように作られているようです
過去二度火災に遭って焼失したため
現在の庭は重森三玲により復元されたそうで、割と現代的な感じもしますね
襖絵は雪舟でしょうか
入り口にも誰も居ませんでしたが座布団が準備されていたり
襖がはずされて奥に立てかけてあったり
この日は何か催しでもあるのか、ちょっと茶室に入っていいものかどうか判らず
丸窓からの景色は見られませんでした
明治天皇の写真がかけてある
ちょっと珍しいですね
京都 霊雲院 ロシア捕虜の楽器 [雑記]
霊雲院のお堂です
お堂に上がるとガラスケースの中に木でできた古そうな楽器が飾ってあります
額に入った説明を読んでみると日露戦争の時にロシア人捕虜1500人が
東福寺に収容されていたそうで、そのうち50人が霊雲院に居たそうです。
収容された8ヶ月の間自分たちで楽器を自作して楽しく暮らしていたと
あります。
読んでいて「楽しく暮らして居りました」のくだりで
ええ〜〜〜!?本当に?と驚きました。
捕虜なのに?
しかし、バラライカとかまぎれもなくロシア人が作ったであろう楽器があり
これを寄贈して帰ったって事は、そんなに悪くない待遇だったって事なんだろうなぁ
と思いました。
お寺という事もあってそれなりに手厚くもてなしたような気もします。
捕虜の中にはいろいろな職業の人も居たとあるので
服飾関係の人も居たのか刺繍も残されていたり、たぶん記念になるようなものを
残していきたいと思ったんでしょうね
わかりにくいですがロシア兵と日本人との記念撮影のようでした。
後で調べてみましたが、クーリエ・ジャポンという所で取り上げられた事が
あるようで
「軍の幹部は比較的快適な仏教寺院に送られた」とあり
外出も自由で旅行などにも出かけていたそうです。
温泉などにも行っていたそうですから、それなりに日本を楽しんでいたんでしょうね
牧歌的な時代だったんだなぁと思うと同時に
東京裁判で問題になった日本側の捕虜の処遇とか
本当はどうだったんだろうとか いろいろ考えてしまいました。
京都 東福寺 霊雲院 [雑記]
大阪に一泊してから京都に向かいました。
いくつか見たいなと思っていた庭園があるので周ってみました。
写真は東福寺塔頭 霊雲院の庭園 臥雲の庭です。
重森三玲という昭和の名造園家が荒れていた庭を復元し
見ても面白いですがお堂の廊下に座ってただ眺めていても
とても落ち着くいい庭です。
特に白砂と鞍馬砂との二色の砂で雲海を表しているのが斬新ですが
石の配置にはとても細かい計算があるらしく一緒に庭を見ていたおじいさんが
造園に詳しい人でいろいろ解説していました。
(連れのおばあさんに解説していたのを横でただただ聞いていて
ほほ〜と感心していました おじいさんの話では茶色い部分は苔なんだそうで
この暑さで枯れてしまったけど涼しくなればまた復活して緑になるそうな)
庭とか樹木に造詣の深い人って良く見知らぬ人にも解説してくれますよね
三渓園でも解説してくれる人に会った事があります。
九山八海の庭
真ん中にある盆栽のようなものは遺愛石と言い須弥山に見立てているそうです。
とても手入れの行き届いた綺麗な庭です
白砂で波紋を表しているようですから細長く続く白砂は川の流れを表しているのでしょうか
瓢箪の形をした蹲です。
霊雲寺の入り口には小さなお地蔵さんやら仏像やらがちょこんと置かれていて
優しい雰囲気です。
霊雲寺の入り口まで続く長い道