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横田滋さんを偲んで [雑記]
めぐみさんに会わせてあげたかった。本当に残念です。
なんとしても早急に拉致問題を解決しないと家族の方もそして拉致された方も
年齢を重ねて取り返しのつかない事になってしまいます。
政府には本腰を入れて取り組んで欲しいと思います。
Test
ソネットブログがシーサーブログに譲渡されるという事で久しぶりにup
昔作ったgifアニメの動作確認
ブログがどこかに吸収されるとか売り飛ばされるとか
昔からいろいろありました。
まだブログという言葉が無い頃、WEB日記という形でブログのようなものがありました。
読書日記をつけてたんですが、ライブドアブログに移譲される事になり
そのまま使っていたんですが、使い勝手が悪くそのままにして
新しい日記はエキサイトブログを使っていました。
2年ほど経った頃、いつのまにかライブドアブログは消されていました。
2001年から2004年分の日記は消えて無くなりました。
いや〜 ネットの日記って儚いものですね
忘れていたんですが私用で読んだ本の感想を確認したかったんですが
どうやら消されたライブドアブログにあったようで探しても見つからず。
図書館で借りた本だったので内容もおぼろげでいつ読んだのか
どんな内容でどんな感想だったのか
今一度読んでみたかったんですが適わず。
まぁそんなこんななコロナの日々
ジャムの事 引っ越しの事 [猫]
久しぶりにupしています。
実は飼い猫の残った1匹 ジャムが一昨年の暮れに亡くなり
(19歳でしたから大往生でした)
以前から引っ越しを考えていましたが
猫がいなくなったのを機に本腰を入れて物件を探し
昨年の秋に引っ越しました。
家人がペットロス気味だったんですが
ようやく落ち着いてきたような感じです。
引っ越し先は鎌倉がいいかなといろいろ物件を見ましたが
決定打に欠け
結局今まで住んでいた近所に良い物件が見つかって
生活圏は同じ所に住んでいます。
家人は「ジャムとタラと一緒に引っ越したかった」と言っていますが
猫が死んでいなかったら、今の家は見つからなかったように思います。
あとあとわかった事ですが
不思議な縁があって猫に導かれるようにこの地にたどりついたようなのです。
今二匹は骨になって窓辺に居ます。
京都 東福寺本坊庭園2 [雑記]
東福寺本坊庭園 南庭
中央に恩賜門 左側の石の集まりで壺梁 右側で方丈を表しています。
東庭の廊下側から見た南庭
左の緑の石を中心とした石の集まりで瀛洲*を表し右側で蓬莱を表しています。
手前の白州が八海
五山
蓬萊神仙思想が盛り込まれていますね
恩賜門
東福寺の白蓮
方丈の入り口 鉢に入った蓮
*瀛州(えいしゅう)は、
古代中国において、仙人の住むという東方の三神山(蓬莱・方丈)の一つ。瀛洲とも。
転じて、日本を指す。「東瀛(とうえい)」ともいう。日本の雅称である。
Wikipedeaより
中央に恩賜門 左側の石の集まりで壺梁 右側で方丈を表しています。
東庭の廊下側から見た南庭
左の緑の石を中心とした石の集まりで瀛洲*を表し右側で蓬莱を表しています。
手前の白州が八海
五山
蓬萊神仙思想が盛り込まれていますね
恩賜門
東福寺の白蓮
方丈の入り口 鉢に入った蓮
*瀛州(えいしゅう)は、
古代中国において、仙人の住むという東方の三神山(蓬莱・方丈)の一つ。瀛洲とも。
転じて、日本を指す。「東瀛(とうえい)」ともいう。日本の雅称である。
Wikipedeaより
京都 東福寺本坊庭園1 [雑記]
重森三玲作 東福寺本坊庭園
東庭 天ノ川
北庭 小市松
西庭 井田市松
真夏という事もあって苔の部分が枯れて茶色になっていますが、本来は緑
井田市松の四角い緑はつつじのようですから、季節によっても趣は
違ってくるのでしょう。
京都 雪舟寺 芬陀院(ふんだいん) [雑記]
霊雲院を出て他の庭に向かっている途中で雪舟寺を見つけました。雪舟庭園とあります。
雪舟が作庭したそうなので入って見ました。
鶴亀の庭 白州と小石の真っ直ぐなラインが綺麗な庭です。
丸く石でこんもりとした小山を囲んでいるのが亀島と言うそうで
雪舟が亀を摸して作った所夜中に動いたという逸話が残っています。
茶室の丸窓から庭を見ると絵になるように作られているようです
過去二度火災に遭って焼失したため
現在の庭は重森三玲により復元されたそうで、割と現代的な感じもしますね
襖絵は雪舟でしょうか
入り口にも誰も居ませんでしたが座布団が準備されていたり
襖がはずされて奥に立てかけてあったり
この日は何か催しでもあるのか、ちょっと茶室に入っていいものかどうか判らず
丸窓からの景色は見られませんでした
明治天皇の写真がかけてある
ちょっと珍しいですね
京都 霊雲院 ロシア捕虜の楽器 [雑記]
霊雲院のお堂です
お堂に上がるとガラスケースの中に木でできた古そうな楽器が飾ってあります
額に入った説明を読んでみると日露戦争の時にロシア人捕虜1500人が
東福寺に収容されていたそうで、そのうち50人が霊雲院に居たそうです。
収容された8ヶ月の間自分たちで楽器を自作して楽しく暮らしていたと
あります。
読んでいて「楽しく暮らして居りました」のくだりで
ええ〜〜〜!?本当に?と驚きました。
捕虜なのに?
しかし、バラライカとかまぎれもなくロシア人が作ったであろう楽器があり
これを寄贈して帰ったって事は、そんなに悪くない待遇だったって事なんだろうなぁ
と思いました。
お寺という事もあってそれなりに手厚くもてなしたような気もします。
捕虜の中にはいろいろな職業の人も居たとあるので
服飾関係の人も居たのか刺繍も残されていたり、たぶん記念になるようなものを
残していきたいと思ったんでしょうね
わかりにくいですがロシア兵と日本人との記念撮影のようでした。
後で調べてみましたが、クーリエ・ジャポンという所で取り上げられた事が
あるようで
「軍の幹部は比較的快適な仏教寺院に送られた」とあり
外出も自由で旅行などにも出かけていたそうです。
温泉などにも行っていたそうですから、それなりに日本を楽しんでいたんでしょうね
牧歌的な時代だったんだなぁと思うと同時に
東京裁判で問題になった日本側の捕虜の処遇とか
本当はどうだったんだろうとか いろいろ考えてしまいました。
京都 東福寺 霊雲院 [雑記]
大阪に一泊してから京都に向かいました。
いくつか見たいなと思っていた庭園があるので周ってみました。
写真は東福寺塔頭 霊雲院の庭園 臥雲の庭です。
重森三玲という昭和の名造園家が荒れていた庭を復元し
見ても面白いですがお堂の廊下に座ってただ眺めていても
とても落ち着くいい庭です。
特に白砂と鞍馬砂との二色の砂で雲海を表しているのが斬新ですが
石の配置にはとても細かい計算があるらしく一緒に庭を見ていたおじいさんが
造園に詳しい人でいろいろ解説していました。
(連れのおばあさんに解説していたのを横でただただ聞いていて
ほほ〜と感心していました おじいさんの話では茶色い部分は苔なんだそうで
この暑さで枯れてしまったけど涼しくなればまた復活して緑になるそうな)
庭とか樹木に造詣の深い人って良く見知らぬ人にも解説してくれますよね
三渓園でも解説してくれる人に会った事があります。
九山八海の庭
真ん中にある盆栽のようなものは遺愛石と言い須弥山に見立てているそうです。
とても手入れの行き届いた綺麗な庭です
白砂で波紋を表しているようですから細長く続く白砂は川の流れを表しているのでしょうか
瓢箪の形をした蹲です。
霊雲寺の入り口には小さなお地蔵さんやら仏像やらがちょこんと置かれていて
優しい雰囲気です。
霊雲寺の入り口まで続く長い道
大阪 [雑記]
大阪で開催されたTHE ICEに行ってきました。
翌日あべのハルカスに行きジュンク堂書店など見てまわりました。
ハルカスの建物が以前テレビで見た時に印象的だったので
一度実際見て見たいと思ってたんですがどこから見たらいいのか
建物をグルッと回ってみてもわかりませんでした。ハルカスの入り口
近くではわかりにくいんですが離れた場所からだと全体がわかって
とても綺麗でカッコイイ建築だとわかります。
ハルカスの展望台から大阪の街を見下ろしたところです。
ビルがギッシリです。
下の緑の部分が天王寺公園ですね
遠くに見える海がたぶん大阪港
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